要領がいいつもりで「言うこと聞いてりゃ満足するんだから、とにかく言う通りにしておこう」という子もいます。一見これはちゃっかりタイプのように思えますが、実は「教師の理不尽な要求に応えてしまう」という点において、素直で真面目に「先生のおっしゃることだから」と教師の要求に誠意を尽くして応える前者のタイプと結果的になんら変わりがないことになってしまいます。反対に男の子の場合。これはもう、あからさまに「バカなんじゃねーの?」という態度をあらわにしてしまいがちです。その感覚は、おそらく正しいでしょう。しかし、これでは教師に目の敵にされるばかりですし、ひどい場合はいじめと言えるほどの仕打ちを受けてしまいかねません。ではどうすればいいのか。ここで親の出番です。
85年のマックスファクター製品の場合、容器の中で油が蒸発してしまったために、唇につけた時にカサカサとした感触となり、つけにくく突っ張り感が生じる結果となった。この事態を避けるため、わずかな水分に反応して唇に潤いのベールを作る超高分子樹脂に色素を包み、揮発成分が飛びにくい気密性の高い容器を採用したのである。油分が揮発しにくいから油分は消え去るので、色は移りにくくなる。テスティモに導入されたこの技術は市場から高い評価を得た。だが画期的な技術をもってしても、女性たちを感服させることはできなかった。カネボウが落ちない口紅のクライマックスを宣言した後、まさにブームは終焉に向かう。カネボウが次に訴えたのが、唇への優しさだ。97年に発売したテスティモの宣伝文句は、「つけてるだけで、くちびるエステ。ぷるん」。他社も大なり小なり似たような展開だ。落ちにくさよりも、唇を肉感的に見せたり、乾燥しにくくしたりする機能に力を入れ始めた。
昔は、共同体の中で死者が出ても、すぐには埋葬しなかった。たとえば、病気などを患っていた人が死んだ場合、別小屋に遺体を隔離し、しばらく期間をおいた。数日後、様子を見にいったとき、遺体の腐敗が進行しているようだったら、そこで死を判定した。仮死状態かもしれないということを考え、死を慎重に取り扱っていたのである。死は点ではなく、緩やかなプロセスとしてあった。それがだんだん医学の発達によって、不可逆的な心停止を、さらには不可逆的な脳死を死の判定規準とするようになった。しかし、どの時点が不可逆的なのか、を判断する難しさはある。心臓死であれば、「もう少し手当てが早ければ、死には至らなかったのでは」ということがある。脳死にしても、「まだ引き返せる地点があるのでは」ということで、さまざまな研究が進められている。科学技術が進んだことによって人間は、死に方、看取り方について、難しい問題を抱え込むことになった。医療技術が今ほど発展していなかった昔は、治療法などが限られていたため、人間は病気や事故なども含めて、ある意味自然に死んでいった。ある点を定めて、ここが死と判定しなかった。ところが、現代はそれが点になってしまっている。しかし、葬儀が相変わらずプロセスを踏んで行われるのは、遺族や故人と親しい人の心理状態にとっては死が点ではないことを示している。