1階、2階で売り場面積330平方メートル、在庫の種類と量では地域最大の品ぞろえで開店した。丈夫で大量陳列に向いている、通常は食器類の販売に使われるエレクターという什器を社員が組み立て、1000円、1900円の商品を大量にそろえた。モデルにしたのはアメリカの大学生協で、当時の小郡商事の企業案内には「アメリカの生協スタイルの、新しいデイリーファッションストア」と記されていた。今のユニクロにはほとんど見られない派手なカラー、デザインの安っぽい商品が多かった。当時、仕入れ担当だった常勤監査役は、こう回想する。「たぶん、朝6時開店というのはどこもやっていなかった。すぐに追随するところが出てきましたけど。夜19時までやって、翌日の準備もありますから、試着室で寝たこともあります」(繊研新聞社編『ユニクロ異端からの出発』)同社の最初のターニングポイントであり、Y社長は91年までを、「カジュアルショップの時代」とよんでいる。